地域貢献
かねよしでは地域に根ざした生産拠点であり続けるため、地域社会での社会貢献活動を下記の様に実施しています。
毎年、地元地域の小学校を中心に工場見学を実施しております。 見学では小学校での社会科授業に対応した内容となっており、工場内の見学と説明、実際の機械や工具を使って加工体験などを行っていただきます。工場見学を通じて、ものを作る工程や、従業員の働く姿を見てもらい、そこから「モノづくりの大切さ」「働くことの大変さ」を感じていただきます。また地域の方とのコミュニケーションを目的としています。
地元工業高校のインターンシップ(職業体験)を毎年受け入れています。
ものづくり、金属加工の楽しさや魅力を伝える事、また体験してもらい生活に身近な金属に触れてもらう事を目的としています。
ものづくりのまち川口
川口商工会議所HPより抜粋
川口市は、埼玉県の南東部、荒川を隔て東京都と隣接する人口約60万人の中核都市であり、鋳物・機械・部品・金属・精密加工等の「ものづくり産業」を集積しています。 江戸時代には、巨大都市江戸で日常物資への需要が急激に高まり、川口は、荒川や芝川による舟運を利用した江戸向けの商品の開発、生産や流通が盛んになりました。この頃から、川口の代名詞となっている鋳物工業、植木産業などが発展しはじめ、産業都市としての礎が築かれていきました。なかでもこの頃、市内を流れる芝川流域に自生する布袋竹を素材に釣竿づくりが始まり、全国随一の釣竿生産地として名をはせました。 明治時代になると、日本の近代化の中にあって、川口は重要な役割を担うようになり、次第に機械部品や大型鋳物の製造が盛んになりました。川口には河川交通や街道があったこと、東京市場や京浜工業地帯を近くに控えていたことなどの優位性もあり、日用品鋳物に代わり土木建築用鋳物や機械鋳物の生産が増加し、併せて関連産業の分業化が進展しました。 明治43年の川口町駅(現川口駅)開設による陸上輸送の増強などもあり、川口の鋳物の販路は、関東地方から、東北、北陸、東海地方へ広がり、さらには朝鮮、台湾にまで広がりました。そして、大正3年の第一次世界大戦の勃発により、外国からの注文が急増し、京浜工業地帯の急速な発展とともに機械鋳物の生産が増大し、本市の機械工業も発展していくこととなります。 第二次世界大戦終戦後は、生活物資が不足する苦難の時代を経ながら、鋳物工業の再生を核とする復興が進められました。昭和39年の東京オリンピックに使用された聖火台は、戦後の復興を果たした日本のシンボルであるとともに、川口鋳物を代表する作品です。このような鋳物工業の歩みの中で、木型工業や機械工業など、機械金属分野に関連する多数の工場の集積が進みました。また、織物産業についても、戦後の高度経済成長期における急激な都市化の進展に伴う需要増と織機技術の進歩があいまって、専業の機屋が多く存在し、織物業界を襲った幾多の苦難を乗り越えながら、生活必需品を量産していました。 現在は、日本の産業構造と違わず、経済成長とともに第三次産業の比率が高まり、本市においても、ベットタウンとして駅前を中心に市民の生活を支える商業施設が集積し、第一、二次産業は、国内外の競争激化や担い手不足などといった原因から減少している状況です。 ただ、本市を支えてきた鋳物や機械をはじめとする伝統的な産業は、力強く地域に根付いています。その伝統的な産業に、商業・農業・メディアなど幅広い産業も加わり、躍進する”ものづくりのまち川口”として、現在に至っています。